秋葉原駅ロッカー

人類のアンチ

アイカツフレンズはアイカツ!になり得なかった

アイカツフレンズアンチ記事3弾です。

2度あることは3度ある。

 

今回は本読んでて考えた文句です。

読んでた本は

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

 
ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

 

これです。

この中の

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この文章(画像の方はネットから拾ってきた物なのでこの訳と本の文章が違う)

にフレンズがダメだった所が言われてると思うので書いていくアンチ記事です。

解説を読んで理解したので二番煎じだけど。(ちゃんと読んだので許して)

 

 

アイカツフレンズと言えばやはりフレンズ制度、言ってしまえば公式カップリングなんですけどもどう考えてもこれは劇場版アイカツスターズの成功が切っ掛けです。

 

初代からそういった演出はあれど、スターズ劇場版以降シリーズ内に百合の流れが強くなっていったように思います。

 

しかしアイカツフレンズは致命的なまでに面白くない。

アイカツシリーズの二番煎じだからです。

初代アイカツにおいては蘭ユリという集団幻覚が最も有名ですが蘭ユリもシリーズ途中で幻覚が覚めはっきりとした百合は無くなり各々オタクの妄想による補完が中心であるように思います。

 

初代にあった百合的描写に対して劇場版スターズは露骨、モロなんです。

 

あの驚きは初代ではここまで描かなかった描写、子ども向けでこんなことをやるのかという物です。

 

初代は優しい世界、スターズは厳しい世界と言われますが初代においてはあえて描かれなかったであろう世界の一部を描く事でスターズはアイカツ!という殻を出ようと試みました。

 

これらは「私を棄て、君たち自身を発見せよ」という試みです。

初代アイカツという圧倒的存在を越えるために初代とは違うアプローチを試み自身のアイカツを見つけるという。

 

フレンズはスターズにおいて人気のあった百合描写の真似事をするために作られた制度であり、スターズを棄てられず自身を発見しようともしない行為でした。

 

 

「私を棄て、君たち自身を発見せよ」というのはアイカツシリーズ作中に置いても重要なポイントであり、神崎美月を目指した星宮いちごはスターライトクイーンになれなかったが最終的に神崎美月と同じ高みに登った。

星宮いちごを目指した大空あかりは星宮いちごがなし得なかったスターライトクイーンになることで星宮いちごに並んだ。

星宮いちごになりたいという気持ちでは星宮いちごになれないというのは作中に置いても描かれています。

 

スターズでは白鳥ひめと同じ立場になった虹野ゆめはあの一期S4戦時点では自身を発見していませんでした。そのため星のツバサシリーズに置いても虹野ゆめは挑戦者として描かれました。

 

フレンズは一期でピュアパレット(以下PP)はダイヤモンドフレンズとなりラブミーティア(LMT)に勝ちました。しかしPPはLMTの居た場所に座っただけなのです。LMTにPPが勝った理由が外的要因なのもそう思わせるポイントです。

その後のPPは作中において誰かを教え導く事もなにもできずにいたのは自身を発見することなく椅子に座ってしまった事でLMTの下位互換と化していたのです。LMTでいいじゃんという事です。

 

 

 

「私を棄て、君たち自身を発見せよ」つまり

なりたいだけじゃダメであるはずのアイカツ!において

劇場版スターズになりたい。

アイカツ!みたいになりたい。

という安直な思いだけで作られたフレンズという作品はアイカツシリーズを目指した結果アイカツと呼べる物ではなくなってしまったのです。

 

 

オールスター物はまぜこぜなので知りませんし観ません。桜庭ローラちゃんが雑に消費されないことを遠くから願っています。

 

 

 

 

「アイキス」マスターアップおめでとうございます

最悪です。

人の思い出と名誉を下痢便とミックスして腐らせた作品「アイキス」が発売するそうです。

 

戯画、エロゲオタクなら大体知ってると思います。

戯画 Official Website

味を占めてやたらとシリーズ出して潰すことが得意な会社ですね。

 

2012年から続いてるキスシリーズというのがあるんですけどアイキスというのはどうやらキスシリーズらしいです。

ストーリー的な繋がりは一切ない作品たちがシリーズとして扱われているんですが、何を持ってキスシリーズをキスシリーズと認識してそう呼んで来たかっていうと

コンセプトで判断してたと思うんです。

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キスアト Official Web Site|戯画

 

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【リプキス】Official Website|戯画

 

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フルキス Official Website|戯画

 

等身大です。ありのままとかそういう意味です。

学生?たちの恋愛、王道なものを描くのがコンセプトに設定されてます。(エロシーンはAV並みにハチャメチャですけど)

エロゲにしては髪色が落ち着いてるのもそのコンセプトを補強しているように感じられます。

 

そして今回の議題であるアイキスさんなんですが...

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アイキス

まあ...近いですね。

SNS使いこなすとか流行とか1ミリも求めてないですが。

アイキス、なんと現代の流行最先端であるVtuberを使って宣伝してるんですよ。

これがその三枝アヤメです。

www.youtube.com

 

Vtuberが攻略できるエロゲじゃん!!!!

 

その層にはウケるかもしれませんが等身大の恋愛をするはずの等身大の女の子がVの仮初の体でエロゲにいる事実に震えます。普通の女の子出してくれ。あと等身大の女の子がエロゲ実況したりエロゲに寄生する他の雑魚Vtuberとコラボするなよ。

 

 

 

少し話題変わって

賢明なオタクかリンクをちゃんと見てくれた方は気づくかもしれませんが、このアイキスの制服、キスアトのと同じ制服なんですよ。

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アイキスの絵が下手糞すぎてわからないかと思いますが、同じなんです。

アイキスをキスシリーズとして扱うのであれば、これはキスシリーズ初の連続した世界観を持つ作品なんです。

 

同じ世界、同じ学校なので2つのストーリーを比べましょう。

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(キスアト)

 

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(アイキス)

 

美術学校なんですよ、ここ

キスアトはシナリオライターのズレた知識があるものの、夢と提出期限と恋愛に忙しい面白い作品でした。(信者だった)

キスシリーズを進めるならキスアト一択です。

おしゃれよりも作品を選ぶ娘が出てるんです。キスアトには。

 

 

アイキスはおしゃれがどうとかイマドキとか、ストーリーも美術の事忘れてそうじゃないですかね?

 

 

シリーズとか続編って無くしちゃいけないものが必ずあって、キスシリーズとしては「等身大の恋愛」だと思います。

あとキスアトの続編を名乗るならば、美術への熱意や夢、それを押し出していくべきなんです。

現状それが見られず、上辺をなぞるだけの作品をキスシリーズともキスアトの続きとも認めません。

 

 絶対に買わないので蓋を開けたら名作だったとしても俺の意見はこの文章で終わります。手のひら返しはしません。

 

 

 

 

(以下纏めきれなかったアイキスに不信感ポイントを羅列します)

思い出せば追記します。

  • キャラクターの憧れの人欄にある前作ヒロインの名前間違い
  • スタッフがほとんど外注で戯画での仕事は初めて、つまりシリーズに関わったことがない人しかいない
  • 発表時に出た過激な擁護ツイートだけをいいねする

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  • キスアトに登場するサブキャラクターの経営する喫茶店も舞台として登場する予定だが、そのキャラクターの原画家と戯画は絶縁状態にあり、原画をそのまま使うのか元の絵に加工か改変をして無理やり出すのか。それとも存在を消して改悪するのか。

アイカツフレンズアンチ活動

これはアイカツフレンズのアンチ活動です。

誰かを好きになるとかそういう物語を作るとき、何で好きになるのか、どこがいいのかっていうを描く必要があると思うんです。
運命の相手とかそういう考え、そう思うならそうなんだろなお前の中ではって感じで現実に存在しないものだと思っています。

じゃあ2次元、作られたストーリーは?ってそりゃ全員作者の手のひらにいるんだから運命の相手ではあります。運命は作者が決めるので。

じゃあ最初に書いたきっかけのようなもの要らないか?って言ったら絶対必要です。
作者が「これは私がくっつけたいカップリングなので結婚させました。物語の理由はありません」なんて言っていいわけないし。

ましてや出会ったその日に結婚の真似事をして結婚?
出来ちゃった婚より早いな。
そんなんじゃ面白くないんですよね。
(バカ曰くフレンズは結婚の直喩らしいですが)


結婚とか付き合うとか別々の人生を歩んできた人間が一緒になるという場面なんですよ。
運命の相手はいない、つまりそれぞれ一生出会わずに生きていく未来が存在してるはずなんですよ。

ピュアパレット、ひいてはフレンズたちにはそれがないと思うんです。
これは運命とかそういうんじゃなくて、道がそれしかないっていう意味です。

彼女たちは出会って結婚するためだけに産み出された。それまでの人生も好きになるまでの間もなくそれしか出来ないから。

一本道でそこに障害は1つもなく、ただ呆然と歩くだけで終わる道を歩むキャラクターを応援することが出来るでしょうか。出来るかよ。

人生がないんです。アイカツフレンズには。

その場その場で生み出されて消費される物には味わいがないんです。
感情は漬け込まないと美味しくならないのにあいつらは1日未満で消費するんです。

フレンズになった2人には時間があるだろ!って思ってる人たちがいるの想定して先読みしますが、人間関係は個人と個人の組み合わせなので個人が未成熟である以上未成熟と未成熟を組み合わせても不味いままなんですよね。

フレンズ1話の鐘、あれ1期最終回だけとかじゃダメでしたか?
出来ちゃった婚と大恋愛の末の結婚、どっちのが結婚式の馴れ初め見てて楽しいですか?
そういうことです。



アイカツフレンズはクソ、続編にでしゃばるところもクソ

以上です。

「じんるいのみなさまへ」クリアしました

ハチャメチャに評価が悪いのを聞いていたので逆張りのオタクとして購入しました。

それとこの記事で存在を知りました。普通に良い記事なのでこれだけでいいです。
https://entertainmentstation.jp/487157

ネタバレはします。

じんるいのみなさまへの評価を軽く調べるとクソゲーとか色んな評価が出ると思います。
上の記事にもあるんですが多分それは最後までクリアせずに書かれた感想です。

有料DLCでキャラクター解放されて新たなストーリーが見れるんですが、これをクリアしたとき本当のクリアです。DLC買わずに語る人も最後に至っていない半端者なので無視していいです。


このゲーム、百合が強調されていて実際それはとても良いものです。それぞれ相手が固定でストーリーによる変化は有りませんが。

百合なんですけども、多分彼女達は同姓愛者ではないと思うんです。
極限状態の中で自然とお互いを尊重しあうことで生まれた感情がここで言う「好き」なんですよ。

互いの足りないところを補って互いをリスペクトしあう関係から生まれる尊敬がそれぞれにあるんですよ(幽々子ちゃんの永里那様呼びのきっかけとか)



それとこの世界では秋葉原に6人の女の子がいるだけで他の人はまるで出てきません。

けれどこの世界の色んな人の話を聞ける場面があります。

彼女たちがコールドスリープする2013年、本編より500年前の人類が日記を書いて秋葉原駅のロッカーに残していく。それを彼女たちが見つけるという場面とおまけがあります。

地球から宇宙に旅立つ心境やウイルスによって死んだ人への気持ち、コールドスリープした人たちへのメッセージといったものが残されて読むことができるんですけども
この日記を読むとき、500年前の人間からの手紙を読んでいるような気持ちにさせられてしまうし。

コールドスリープされる人たちへの応援、ほんとにただの日記でしかないものも同じ時代を生きたことを教えてくれるような気持ちにさせてくれます。


じんるいのみなさまへには言いたいことは山ほどあるんですけども、これも駅のロッカーの手紙のように誰かに読まれることもまるでないと思うのでこれくらいにします。書きたくなったら追加するし別記事とかやったりするけど。


「じんるいのみなさまへ」名作なのでレビューやこんな駄文を読まずにあの世界を見届けてください。Amazonで買えばOP付きで買えます。
ぼくはAmazonで買わなかったので2本目買いました。

hello world見ました

アイデンティティを喪失したので評論家気取りのなんかを作って気を紛らわせてます。あとネタバレします。

hello world、海外sfには疎いので事前準備が足らないままの対決になってたり隣の外国人がスマホで撮影してたりカップルが喧嘩してたり最悪の環境でしたがハチャメチャに面白かったです。

1番好きなのは本を修復する場面ですね。(その後の告白もめちゃくちゃ心を揺さぶられたけど)

マニュアルにない事をしたのをsnsで誰かが成長って言ってたんですけど、少年らしい反抗心も描かれてるし
攻略本の通りにしないことで一行さんへの思いがめちゃくちゃに現れてるとおもうんですよ

指示通りなら付き合えるのは分かっていても好きな人を慰めるんじゃなく悲しみの元から絶って救うことを選ぶの、言われるがままに付き合おうとしてた与えられた恋からの脱出とこれはデータ上の恋ではないっていうのが現れてて好きです。あと一行さんと自分を繋ぎ止めるための武器が本なの、純粋すぎて好きです。

ラストの月で目が覚める場面、あの場面ですらアルタナの記録なのでは?っていう感想を抱かせる瞬間とこれナオミも救われたのかな?っていう疑問を与えて観客を劇場から追い出す最高の終わりかただったと思うんですけど(後ろで見てたカップルがよく分からないみたいな話してた)

この作品の中でも堅書とカタガキの目的は一行さんと一緒に居たいっていう思いであって記録された京都であろうと月面であろうと一行さんと再会できたので目的達成なんですよね

データの中であろうと堅書と一行さんはこれから新しい世界を生きていくし、完璧なデータは現実とは見分けがつかないし、2037で自動修復が切られたし
(この場面のhello worldの文字、観客が理解力がない事を想定して念入りに入れ込んだみたいで好きです)



ここからは妄想?と疑問なんですけど、カタガキが消えるシーンあれはグッドデザインで消した訳ではなくカラス(一行さんの干渉)の力でサルベージされる工程であるんですよね、あのカラス作ろうとした物を取り消したりするし

脳死のような状態の人間の精神をサルベージする行いが治療として確立されるのと自動修復の厄介さを学んだ上での新たなアルタナが月のアルタナだったんじゃないでしょうか(データの中の人の人権を守れとかいう抗議されてそう)

2037アルタナには一行さんの落雷が記録されてるのに2037後の世界ではカタガキが脳死?になってるの、2037の時に無茶してああなったとかなのかな、よくわからないので有識者出て来て

another worldと番外編読んだらまた書きます


10/2
if読みました
あのキャラ付けと目立ちかたをしながら出番がなかった三鈴さんのストーリーをある程度加味して見るとhello worldがまた一段と新たな味を産み出してくれて……って感じです。
ぼくはガチ泣きしました。
タイトル通りifの世界であるんですけども、大元のアルタナの設定は変わらないと思うんですよね。
疑問は解消されたと思います。

あと考察?妄想わりといい線行ってません?

アイカツアンチになりました

とりとめない一貫した文章ではないので悪しからず



以前snsでフレンズ信者のオタクにフレンズってなんだよって聞いたんですけども

その質問に「結婚でしょ?」って言ってきたオタクが正解だったのを改めて公式から表現されたので完璧なアンチに生まれ変わったんですけど

百合は好きだったしゆめロラもめちゃくちゃ好きだったはずなのに何が嫌だったのかって考えて、やっぱ作り手が受け手に向けて媚びたからなんじゃないかなって言う気持ちに行き着きました。

(作詞作曲がテキトーな仕事してたとかドレスがダサいとかそういうのは明確なので脇に置いておきます)

1期のゆめとローラの関係性で大事だったのは2人の仲とかじゃなくて、この2人もいずれ勝者と敗者に別れるっていうところだと考えていてそれが良いと思ってました。


親友としての思いとライバルとしての思い、プラスとマイナス混ざりあった色んなものが互いにあって、それは好きとか恋とかっていう言葉より強いものだったと思うんです。


でもそれを直の感触で感じれない我々オタクは好きとか恋愛感情とかそういうものにシンプルに変換して発信して、表面のソコだけが人気で推されてるように見せてしまったんじゃないかなって。


商売だから客が表面だけ見ててそれでお金を落とすって分かればそれだけやって楽するのは当たり前の事なんだけども。

(別に悪とは言わないけど、そういう動きがフレンズのような悪魔を作ってしまった一因であるから心に留めて置きたい)

フレンズに何度も出てきたあの鐘、チャペルの鐘としての役割を持っていて最終回でも描かれた結婚の象徴であるあれは、フレンズっていう2人組のトップアイドルを目指す女の子2人の感情をオタクたちの代わりに好きとか恋愛感情に変換を行う機械になんですよね。


1話で鐘が鳴った時オタクたちが結婚!結婚!って喚いてたのを今でも覚えてるんですけど

あの2人のその瞬間の思いとこれからの思いがすべて鐘の音に掻き消されて変換された最悪の場面だったんだなって今なら思えますね。
(リアタイ出来なくてツイート眺めてたら結婚とかいうツイートが臭くて当時から良い印象はなかったけど)

キャラクターの関係性とか気持ちを描いた上での組み合わせって、上であげたゆめロラとかいちセイとか、アイカツがやってきたことなんですけども、それをフレンズは鐘の音で省略したんですよね
省略された時の不都合はそこに行き着くまでの中身が薄いことで、それがフレンズとしての物語を薄っぺらくして面白くない物になった一因なんじゃないでしょうか。



結婚を思わせる演出に浮かれたオタクたちは、キャラクターの気持ちを自分の言いやすい言葉に変換していた人たちで、公式が今まで変換してきた言葉を使ってくれた事に喜んでいた自動人形であり

その自動人形を喜ばせる事にだけを考えて生まれたフレンズという悪魔は作り手が手を抜いた瞬間だと思います。